暮らし・ライフスタイル
【連載】四十路のハイジ 第1回「月山筍」を追いかけて
四十路のハイジ
はじめまして、これから月山の夏山の様子や麓での暮らしをお伝えしていきます月山佛生池小屋の若女将です、よろしくお願いいたします。
生まれ育ちは東京下町、山伏体験修行で初めて訪れた庄内に魅せられ通い、40歳にして単独Iターン。まさか修行で上がった月山の山小屋に嫁ぐとは思ってもみませんでした。夏山期間の6月末から9月いっぱい山小屋で生活している、海抜0メートル地帯で生まれ育ち標高1,745メートルに上がった四十路のハイジです。夏山暮らし3年目まだまだ何もかもが新鮮です。

待ち遠しい月山筍の季節
記念すべき第1回目は月山筍について。庄内の方にはお馴染みですが、月山で採れる根曲がり竹が『月山筍』と呼ばれています。
今まで食べた根曲がり竹も美味しくはありましたがさほど印象に残ることはなく、山小屋主人が採ってきた月山筍を素焼きにして出してくれた時にも別段期待無く口に運んだ、すると……「えっと、今何食べたのだっけ??」と頭が混乱するほど、凝縮された旨味と甘さが口の中に広がりました。
知ってしまった後は沢山の美味しいものが巡る庄内の季節の中でも、月山筍の旬が近づいて来るとそわそわと待ち遠しくなるように。さらにもう少し前からもっとそわそわし始める人たちがいます、月山筍の採取者たちです。月山がまだまだ白く見えるうちから筍の様子が気になるようで、流石にまだだろうという時期に先陣を切る人が現れ電話が鳴ります「まだ1本も出てねがっだ」。
月山筍の採り場はいくつかありますが、毎年同じ尾根で採取するのでそこに現れる顔は決まっています。我先に採りたくてそわそわしているのかと思っていたのですが、報告し合うのは同じ採り場の人たちです。採れはじめた時にも連絡がきます。そこから、本格的にシーズンインです。シーズン中採りにいけなかった日には「〇〇、今日あたり行ってるかな」と呟き、心はずっとあの尾根の笹薮の中のようです。

そして笹薮へ
そんな採取者たちのそわそわが伝染し、大変だとは聞いていたのですが、その大変さと採取者を惹きつける魅力が一体何なのか身をもって知りたくなり、移住したその年早々に同行を希望し、履きなれないスパイク長靴でよろけながら主人の後を追いかけました。
9合目から採り場の尾根へ向かう筍道はそれは絶景なのですが、場所によっては細い道の脇がすぐに斜面になっていてよろけたらそのままどこまでも転がってゆきそうです。天気が良ければ幸いだけれど風が吹いたら、帰りに重い筍を背負って歩くときは大丈夫なのかな?と不安な気持ちが押し寄せてきます。
筍道が終わると今度は 目の前に雪渓が広がります。隣の尾根から姿は見えないけれど、「お~い!」と呼ぶ声が聞こえてきて、「誰ぇ~?」と返すと名前が聞こえる。みんな来ている 、今年も筍採っている、筍採りは個人プレーだけれども不思議と連帯感が湧いて来ます。
やっと採り場に着きました。佛生池小屋から採り場までは30分程。家から採取に向かう時には朝の3時頃に出発し、たどり着くまでに2時間半はかかります。
いよいよ薮の中へ、生い茂った笹が脚に絡みつき普通に歩くことができません。藪にダイブして、泳ぐように這いながら筍を探します。山菜採りもきのこ採りも同じだけれども、初めは全く見えて来ないのに急に獲物に焦点が合うと次々と目に入って来るのが面白く、そこからは夢中になって筍を追いかけました。気がつくとカッパには穴があき全身露で湿っていて、止まると凍えるので休みなく筍を採り続けました。それは本能に赴くままの楽しい行為で、採取者たちの心を掴む理由がわかるような気がしました。





辛さも、美味しさも想像を絶して
数時間藪の中を彷徨い、帰る時が訪れました。背負ってきた空のザックは筍で膨れ上がり、ここまでは充足感に満たされ満面の笑みだったのですが、ザックを背負ってまず重さに顔が歪み、その顔を上げると朝滑るように下りてきた雪渓が、途方もなく重い気持ちにさせました。
一歩一歩踏みしめながら雪渓を上がる、山歩きに慣れている主人でさえ辛そうです。この時点で「もう来ない、二度と来ない、これは無理だ」と心が決まりました。雪渓が終わるとあの転がり落ちそうな筍道がまた姿を現すのですが、歩くのに精一杯で行きに感じた恐怖を思い出す暇もありません。そう、書き忘れていましたが行きはずっと下りなのです、ということは重い筍を背負って帰りはずっと上り。休憩がないと本当に脚が動かなくなります。筋肉を休ませて騙し騙し、1時間半かけて山小屋にたどり着きました。
そして、小屋に着くと 休む間もなく大量の筍処理です。晩御飯で採りたての月山筍を口にしてやっと笑顔が戻りました。大変な思いをして採ってきた筍はまた一段と美味しく、心に染み渡り先ほどの辛さを癒してくれます。素焼きで凝縮された旨味に手が止まらなくなるも、心の中の手は筍に合掌。まさに有難い美味しさ。その余韻に浸りながら眠りにつきました。
あくる日、悲劇はまたぶり返すことになります。目を覚ますと大抵のことでは筋肉痛にならない私の脚が重度の筋肉痛になっており、その後1週間程まともに歩くことができず、竹藪の中でとった今までしたこともないような動きと、帰りの登りがどれほど重労働だったのか改めて実感させられました。



ひたすら皮をむく



月山筍の魔力
1年後、私は白く雪の残る山を見てそわそわするようになっていました。その年の筍採りは台風並みの暴風が加わり、筍道も四つん這いで進むというオプションがついたのですが、3年目の今また筍採りに行きたい気持ちでいるのです。魅力を見出しに行ったはずがすっかり月山筍の魔力に取り憑かれてしまったようなのです。
しかし、辛い記憶が消されまた行きたいと思うまでに1年かかるので、私はシーズン中に1回が限度。それを採れる間、何度も竹藪に向かう山の男たち。雪国の男の忍耐強さと月山筍の魔力はどれほどなのだろうかと思います。筍が私たちの口に運ばれて来るまでの様々と、山男たちが筍を背負って戻ってくるまで山を見上げて心配している山女心が少しでも伝われば幸いです。

風間 重美Kazama Emi
東京の海抜0メートル地帯で生まれ、40歳で鶴岡へ単独Iターン。月山が開く夏の間は、嫁いだ主人の営む月山佛生池山小屋へ移動し山で暮らす四十路のハイジ。本業はイラストとデザイン、夏の間は標高1,745mからデータ送信しています。