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【連載】四十路のハイジ 第5回 ヘリが飛んだ日
あの不安が現実に…
8月末にアップした第4回コラムの終わりに書いた恐れていた事態が現実となり、結局その後もヘリ輸送予定日に限りヘリにとっての悪天候が続き、佛生池小屋の発電機用の燃料はついに切れてしまいました。神社も頂上小屋さんも、綱渡りのような状況だったようです。
ついに切れたと言っても本当に切れてしまったら営業ができないので、燃料が入ったドラム缶が置いてある6合目まで主人が行きポリタンクに詰め直し、8合目から背負って上げることになりました。1回に運べる量はポリタンク3つ分で60L、2日もつかもたないかの量です。
「次は◯日の予定です」と何度連絡が来たことか、予定日に天気予報の良くない日が続き、晴れの日に来てくれたらと切に願うも、そんな日に限って他の山の輸送日だったりヘリ会社の休業日でした。
随分とヤキモキした日が続き「今日はやはり飛べません」との連絡にため息交じりに背負いに行ったのが3回、計180Lの燃料を人力で運ぶことになったのでした。
一縷の希望がつながって
今月に入り「次9月3日と4日の予定です。」と連絡が来たのですが、4日の天気予報は良くても3日は怪しい…しかし3日にヘリが来てくれないと4回目の人力燃料輸送が確実になっていました。
3日の早朝に「今から月山に向かいます」と連絡が入りました。6合目に待機しても山頂に向かって飛べるかどうかはその時にならないと分かりません。しかし、今までの予定日は6合目までも来ることはなかったので希望が湧きに湧いてきました。
小屋の前で法螺貝の練習をしていると、遠くから「バラバラバラバラ」とヘリが近づいてくる音がして、いよいよ頭の上をヘリが6合目めがけて飛んで行きました。
相当な音なので言わなくても気がついていただろうけれど「ヘリきたよー!!!」と小屋の中へすっ飛んでいくと、普段浮かれることがない山男が既に口笛を吹いていました。それは口笛出るくらい嬉しかろう。そして程なくして、ヘリの輸送が始まりました。
天の慈悲で、苦行を回避?
まずは何処も燃料が必要なのと、天候的に全ての荷物を輸送できるか分からなかったようで、場所ごとではなく神社と頂上小屋、佛生池小屋を順繰りでの輸送になりました。
途中小雨も降り出し、輸送がストップする時間帯もありましたが無事全ての荷物の輸送が完了しました。これで出羽三山の最たる苦行、人力燃料輸送行が催行されずにすみました。
「あー、ゆっくりした」(庄内の方には説明いらずでしょうが、庄内独特の「ゆっくりした」の使い方です)と、この日は山男から何度も口笛が聞こえてき、私の心の中では「カモメが翔んだ日」(昭和…)のサビが繰り返しリピートしていました。なにはともあれ、めでたしめでたし!
風間 重美Kazama Emi
東京の海抜0メートル地帯で生まれ、40歳で鶴岡へ単独Iターン。月山が開く夏の間は、嫁いだ主人の営む月山佛生池山小屋へ移動し山で暮らす四十路のハイジ。本業はイラストとデザイン、夏の間は標高1,745mからデータ送信しています。