暮らし・ライフスタイル
【連載】四十路のハイジ 第7回 山はとっくに閉じて
山小屋を閉めて早1ヶ月…
ご無沙汰しております、久々の投稿になってしまいました。「山、閉じる」などと渋いタイトルをつけて山小屋仕舞いの様子をタイムリーにお届けしようと思っていたのですが、山を降りてから里の生活への切り替えと同時に諸々の波が訪れ、娑婆の海に溺れかけながらやっと平常運転に戻りました。これも山生活あるあるなのか、四十路のハイジの性格上の問題なのかはわかりません。ということで回想録のようなコラムですが、思い出しながら描いてみたいと思います。
山が閉まる気配
6月の末に山に上がり、7月の開山祭を皮切りに8月のお盆頃までがお参りの方も多く早朝起きが続き、怒涛の日々となりました。8月も後半になりやっとゆったりとした時間が流れ出す頃、山を降りてからの仕事や野暮用などの予定が入り始めます。そのような連絡が来ると心の中に小さな木枯らしが吹き、あぁ私はすっかり山の暮らしが好きになってしまったのだなと気づかされるのでした。
閉山祭
そして9月15日に月山本宮の閉山祭を迎えました。この日は天気にも恵まれ閉山祭にお参りの方々だけでなく沢山の人が訪れ、まさにお山御繁盛大変賑やかな1日となりました。頂上はものすごい大渋滞だったようで、頂上が大渋滞とはどんな様子だったのか想像しては居合わせてみたかったと強く思いました。
閉山祭が終わり夏山の期間中お参りにいらしていた方々がみえ「今年もありがとうございました」「今年もお世話になりました」「来年もまたよろしくお願いいたします」などとやりとりが繰り広げられ、誰かが帰り際ふざけて「よいお年を!」と言って帰られましたがまさに年末感満載です。そして次の日には、月山本宮の方々が下山ここで小さな木枯らしはレベル3ほどに風速が上がるのでした。
紅葉で寂しさを紛らわし
木枯らしが風速をあげつつある中、紅葉の赤、黄色が冷えた心の温度を上げてくれました。私が山に初めて上がった一昨年と昨年は9月23日が紅葉のピークだったのですが、今年は23日になってもあと一歩といったところ、次の日夫婦共々用事があったので里に下り25日に戻ってくると、それはそれは燃えるような紅葉が待っていてくれたのでした。
毎年紅葉を観に来ている登山者の方も口々に「今年は最高だね~」と笑顔を見せてくださると、こちらもなんとも嬉しい気持ちになります。自分が手入れした庭であるわけもなく、自分はただそこにいるだけなのでちゃっかり調子のいい話ですね。そんな浮かれた最中、木枯らしが最大風速になる頂上小屋の皆さんの下山を迎えました。毎年この日がなんと寂しいことか。「みんな山から居なくなってしまった…」そんな気分です。
山小屋仕舞い
月山には8合目の駐車場と佛生池小屋の前にライブカメラがついており、30秒毎に更新され山の天気や様子がわかり、夏山期間楽しみにしてくださっている方々が沢山いらっしゃいます。
↓オンシーズン、ライブカメラの映像は下記サイトで見られます。
「月山佛生池小屋からの風景」
そのカメラも27日には取り外され、後ろ髪引かれながら私も少しづつ荷物をまとめ始めました。
そして10月1日に最後のお客様をお見送りし、そこからはセンチメンタルのかけらもなく怒涛の小屋仕舞いです。途中「ずっと山にいたいな」と口に出してしまうほど未練のあった山ですが、そんな気持ちを粉砕するがごとく、下山後に大きな楽しみを作ったので必死の形相で取り掛かりました。友達から「いつ下りてくるの?」と連絡をもらいますが、片付けが終わり次第の下山なので、いつになるのか最後の最後までわからないのです。
2日の朝に自分達が使っていたお布団がしまわれたのを見て「今日下山か!」と飼い主の様子を見てその後を予測する飼い犬の様にそわそわしながら、片付けに励みました。自分の担当箇所を終えると、最後の方は力作業ばかりなので表に出て景色を見て過ごします。カヤクグリたちが時折私の様子を見て警戒しながらも一生懸命、餌を食べているのをずっと眺めていました。
いよいよ下山
日が傾き始めた頃、いよいよ下山となりました。鍵を掛けて、荷物を背負って本当に来年まで小屋とお別れです。紅葉の名残をゆっくり眺めていたい気持ちを抑え、主人の背負う白い発砲スチロールの箱を目印にあまり遅れを取らないようについて行きました。8合目に近づく頃には、庄内平野の家々に明かりが灯っていました。あの光の粒々の中に帰って行くんだなと街を見下ろし、駐車場から車に乗り込みました。
今年もありがとうございました
里の生活
3ヶ月も家を空けるとやはり荒んでいるものです、今度は家の掃除をして空っぽにして出かけた冷蔵庫に食品を補充したり、生活用品の買い出しと里の生活への切り替えに精一杯、下山してから山を見上げたのは3日経ってからでした。途中下りたくないと言ったほどだったのに、丸2日も山のことを想わなかったのです。私はそのまま月山へと車を走らせました。(用事があったので。)
山を下りてすぐは、街中での車の運転がおぼつかなかったり、お店の中で目がチカチカしたりと適応が追いつかずにいましたが、1ヶ月経った今私たちはすっかり光の粒々の中で暮らしています。最近月山の上の方には雲がかかっていて、なかなか姿を現しません。今頃、雲の中でお化粧中でしょうか?次顔を出した時には綺麗な雪化粧を施しているかもしれませんね。白い月山を目にするのも楽しみです。
風間 重美Kazama Emi
東京の海抜0メートル地帯で生まれ、40歳で鶴岡へ単独Iターン。月山が開く夏の間は、嫁いだ主人の営む月山佛生池山小屋へ移動し山で暮らす四十路のハイジ。本業はイラストとデザイン、夏の間は標高1,745mからデータ送信しています。