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【連載】四十路のハイジ 第8回 淡々と3回目の冬
令和2年始まる。
12月に入り年末が来るぞ、来るぞ!と思っていたらあっけなく年が明けすでに通常運転が始まりました。
移住して3回目の冬にして雪のない日々を過ごしています。(この記事がアップされる前にドカ雪が降るかもしれませんが…)
雪が降って困る方には恐縮ですが、まだまだ雪が珍しい四十路のハイジにとっては物足りない冬です。灰色のアスファルトが消えた真っ白な世界は美しく、運動不足の自分にとって一汗かける雪かきエクササイズも楽しみの一つになっているのです。
東京に住んでいた時は秋冬が苦手でとても憂鬱でした。何の実りもなくただ寒くなるだけで、寒くなっても移動で外を歩きまわるのは変わらずなので夜呑んだ後に帰る凍える厳しさと言ったら…メリットなく活動的にもなれず秋冬を愛したことはありませんでした。
庄内に来て初めて秋の豊かな実りを知り、美しい雪の世界を目の当たりにしてやっと全ての季節を愛せるようになったのでした。ですので、雪の世界を堪能できない冬はちょっと拍子抜けなのです。
しかし、里に雪はなけれども月山はすっかり美しい雪化粧を施していて、晴れ間に姿を見せてくれる度すぅーっとした気持ちになり惚れ惚れとさせてくれます。
重苦しい雲間からゆっくり光が差したり、白鳥が飛び小雪が舞い落ちる庄内平野を見ると、ここにいたら誰でもポエムなんていくらでも書けるだろうと思いつつ、10代から20代前半に数年後に読み返すと全てを闇に葬りたくなるようなポエムを書いた経験から私は間違っても書くまいと思うのでした。
山を降りて何してた?
ここで少し、下山をした秋以降を振り返りたいと思います。
佛生池小屋は「出羽三山精進料理プロジェクト」の一員です。夏山期間以外でイベントがある際にはスタッフとして参加しており、秋には2つのイベントに参加しました。
一つは東京都江戸川区で開催された「鶴岡・羽黒・出羽三山へのいざない」。出羽三山の暮らしや食文化を紹介しつつ、観光だけでなく移住としてもいざなうと言う内容でしたので、移住者である私もパネリストとして登壇させていただきました。
ご存知でしょうか?江戸川区は鶴岡市と姉妹都市なのです。そういった訳から毎年1回はプロジェクトで江戸川区へ出張があります。江戸川区では毎年寒鱈まつりも開催されていてそちらに出展することもありました。
もう一つは出羽庄内国際村で開催された子供向けの伝統食体験イベント「おらほのごっつぉ」に羽黒地域代表として出羽三山の精進料理を学ぶブースを作り参加しました。子供達がたくさん訪れ、各地域の伝統食を学ぶこちらのイベントは引率の親御さんにも新たな発見があり楽しんでいただけたようですが、私は引率でいらした家の隣の奥様に発見していただけました。
家で仕事をしているので出勤する様子も無く、夏になると3ヶ月姿を消す謎の四十路。健全に子供達と触れ合う姿をお見せすることが出来、安心感を持っていただけたのではないかと安堵したイベントでもありました。
そして、松例祭
羽黒口方面の月山に関わる人々の殆どは出羽三山神社の氏子ですので、年越しに出羽三山神社で行われる「松例祭」は大切な行事でその年のクライマックスでもあります。30日から始まり、31日は朝から年を越す夜中の1時頃まで次々に神事が行われます。3年は通わないと祭りの全貌が理解ができないと言われる程複雑かつ、面白いお祭りです。
松例祭の説明はその複雑さによりクレードルプラスのサイトを乗っ取らないと出来そうにないので、「松例祭保存会」のページをご覧くださいませ。
移住前にも一度見学に来ておりますが、移住してからは毎年31日は県外から見学に来てくれる友達と共に朝から羽黒山で過ごしています。今年度は主人が当番町の若者頭で、大松明引きでは恙虫(ツツガムシ)に乗るお役をいただいていたので専属カメラマンとして大忙しでした。
主人は北の国からの黒板五郎風のおニューの帽子を被って行きましたが、恙虫に乗る頃にはその前に行われる酒を1時間飲みながら問答する神事「綱さばき」のおかげですっかり出来上がっていて呂律もあやしく帽子は斜めに浮かび上がり、五郎さんそのものになっていました。
雪が無いと大松明引きが出来ないため、雪の無い年は月山から雪を運ぶ事になります。今年は雪が降らず心配でしたが31日昼過ぎから雪が降り始め大松明引きの頃には庭上は真っ白に、そして五番法螺の音と共に勢いよく恙虫は若者衆に引っ張られ滑り出しました。
朝から居るので最後まで見たい気持ちですが、私は大松明引きが終わる23時過ぎに一旦山を下ります。麓にある正善院の黄金堂へ向かい、般若心経を唱えながら新年を迎え、そしてまた羽黒山に残してきた友達を迎えに行くのが私の年越し行事になりました。
先ほど黒板五郎と名前を出しましたが、私はあぁなりたいとずっと憧れていました。主人のことを「純~!(本名は純平です)」と呼びかけるときは五郎の気分を味わっています。ですのに、主人の方が先に完全に五郎さんと一致、完敗です。黒板五郎とパリジェンヌと人魚に憧れて育った江戸っ子はそのどれにもならずに、四十路でハイジになりました。人生何があるか判らないとはこう言うことなのでしょうか?
今年も何卒よろしくお願いいたします。
風間 重美Kazama Emi
東京の海抜0メートル地帯で生まれ、40歳で鶴岡へ単独Iターン。月山が開く夏の間は、嫁いだ主人の営む月山佛生池山小屋へ移動し山で暮らす四十路のハイジ。本業はイラストとデザイン、夏の間は標高1,745mからデータ送信しています。