食・食文化
農家ごはんと庄内暮らしの知恵をいただく知憩軒・長南光さん
庄内における農家レストランの先駆け
知憩軒に行って光さんのお話を聞きたい。
クレードルwebをリニューアルするにあたり「撮影と取材を」とお話をいただいてから、庄内の暮らしを楽しみながら、女性として、仕事人として大先輩である長南光(ちょうなんみつ)さんに何かこれからの「暮らしのヒント」を聞いてみたかったのだ。
鶴岡市櫛引にある自宅を改装し、農家民宿の先駆けとして知憩軒をオープンしたのは1999年のこと。
元々は、農家が多く暮らすこの地域で、近所に住む人たちが野良着でも気軽にお茶や会話を楽しめ、習い事をしながら情報交換ができる場所として開放していたが、次第に家事や家族の介護など多忙な日々を送る中で、余暇を楽しむ光さんの時間的余裕がなくなっていった。
ならば旅人にきてもらって見聞を広めたらいいじゃないか。という逆転の発想が農家民宿のはじまり。
2004年には農家レストランを併設。以来多くの客人をもてなし、庄内の人々にも憩いの場所として愛されてきた。
櫛引と言えばさくらんぼやぶどう、りんごなどの果樹業が盛んで、低い木々が並ぶ畑は、花から若葉、そして色とりどりの果物がたわわに実り、収穫を終えると次第に白銀の世界を作る。
庄内でも四季の移ろいを存分に感じられる場所だ。
訪れたのは3月のはじめ、櫛引にはまだまだ雪が残っていて、厚手のコートが大活躍してくれるような日だった。客室にある反射板ストーブに灯る火が、ほぅっと体を温めてくれた。
少し遅れてやってきた小林編集長とお昼をともにする。
遅れたのには訳があって、数日前からお腹を壊していて体調が優れなかったという。「そういうワケで大変申し訳ないけどごはんは少なめに…」と光さんに伝えると「はいはい」と笑いながらいそいそと準備してくれた。
ながら仕事で用意する「普通のごはん」
「農家の普通のごはんだがら、特別なことなんて何にもしてないの」ともてなしてくれた昼御膳は、ふっくらと炊きあがったごはんに、身欠きニシンの炊き上げ、藤沢かぶの漬物、春の訪れを感じさせてくれるあさつきのおひたしなど。
どれも丁寧な仕事が目に浮かぶ。ひとめ見ただけでも身体が喜ぶのがわかるが、口に入れるとやっぱりしみじみ美味しい。もしかしたら眠りかけている日本人のDNAがぐぐぐっと目覚めてくるようでもある。
「こんなのものはね、ぜーんぶストーブが作ってくれるの。材料を鍋にいれたら家事の合間にストーブにかけておくといいのよ。難しいことなんてない」
「特別なことではない」と。
「料理はね、五感で味わうものなんだよ。ここにくるまでの景色や自然の音、食べながら眺める風景がごはんを美味しくしてくれるの」
あくまでも人間は自然の力を借りてるだけなのだと。
春には春の野菜を、越冬した野菜で、冬の間身体を動かさないで溜まった毒素をとってあげるといいのだ、と光さんは諭す。今の時代は年中採れる野菜や果物を季節を関係なく食べるからおかしくなるのだと。そしてまた「特別なことではない」と繰り返した。
若い頃から家の仕事に追われていた光さんは、機織りをしながら煮物を一品仕込むなど「ながら仕事」を徹底して体にたたきこんでいた。だから晩のうちに下準備をしてあげれば、朝には一品できでいる。そんなことは「特別なことではない」のだ。煮物は冷めた時に味が染み込み美味しくなるから、道理にも叶っているというわけだ。
朝は一汁三菜、一日三度の食事は体に無理のないもの、調味料は梅干しをほんの少し、油は青魚に含まれる油や肉の油をそのままに利用して。
おかずは季節に合わせて、体が喜ぶものをいれてやることで、健康で疲れなくて充分働ける。
キリキリと張りつめる日々のスピードを緩めてくれるような、優しくて力強い言葉が心に響く。
まだまだ私の暮らしの修行は続きそうだけど、光さんのお話を聞いたら今晩からまたごはん作りもがんばれそう。だって「ながら」でいいのだから。
いつの間にか小林編集長のごはんが無くなっていた。「いや〜、食べられるなぁ〜。お腹の調子悪かったはずなのに…」と言いながら結局「おかわり」まで平らげた!心無しか頬の血色まで良くなっている。
特別ではない、という光さんのごはんは、やっぱりどこか「特別」な気がしてならないのである。
知憩軒(ちけいけん)
山形県鶴岡市西荒屋宮の根91
火曜・水曜定休(他不定休あり要問合わせ)
Tel.0235-57-2130