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庄内ふむふむふむ5「本間家旧本邸」
酒田東高校 生徒取材
本間家旧本邸、本間美術館など、 現代にもその名を轟かす酒田の豪商・本間家。 歴史と功績を語り継ぐお2人に、一族の歩み、 庄内藩や地域との関わりについて伺いました。

本間家って?
「日本一の大地主」と呼ばれ、最盛期には3000ヘクタールの土地を持ち、3000人の小作人を抱えた、酒田の豪商です。相模(現 神奈川県)から越前・越後を経て、永禄年間に酒田へと移り住み、1689年に初代の原光(もとみつ)さんが分家し「新潟屋」を開業したのが、本間家の商売の始まりだといわれています。

どんな商売をしていた?
開業当初は、雑貨の卸売りと両替を事業とし、初代の時点で優れた酒田商人の証である「三十六人衆」の1人として数えられていました。2代光寿(こうじゅ)さんの代理を務め「相場の神様」と称された弟の宗久(そうきゅう)さんが、米の先物取引を始め、さらに大きな財を成したそうです。その後、商業・金融・地主の3大事業を時代に合わせ展開していきました。
本間家旧本邸が、自宅だった?
もともとは、幕府巡見使を迎える宿舎として建てられたものです。3代光丘(みつおか)さんが、京都から腕の立つ宮大工を招き2年の歳月をかけ新築し、庄内藩を治めた酒井家に献上したのが1768年のこと。本陣宿としての役目を終えた後、酒井家から拝領し1945年までは本間家が住居として使いました。かつて侍たちが過ごした部分は武家造り、本間家が暮らした部分は商家造りと屋敷が半分ずつ違う造りになっていて、住居として暮らした際も本間家が武家造りの部屋を使うことはありませんでした。このような2つの違う造りが合わさったお屋敷は全国的に見てもとても珍しく、基本となる造りだけではなく、使われている木材、塗装や床板の貼り方などさまざまな違いを見ることができます。
本間家が家を離れてからは、1949年から1976年まで酒田市の公民館として使われ、その後は本間家ゆかりの品々とともに公開され現在に至ります。風の強い西側に土蔵を建て、軒裏を漆喰や銅板で覆い、庭には燃えにくい木を植えるなどの工夫もあり、1976年の酒田大火でも焼けることなく今年で256年、酒田市内で最も古い木造の建物です。旧本邸同様、現在一般公開されている本間美術館は、かつては庄内藩主の領内巡見時の休憩所として使われた、本間家の別荘だったそうです。





釘隠しなどの細かな装飾も、部屋ごとにそれぞれ意味を込めデザインされている。
酒井家とは、どんな関わりが?
初代の原光さんから、本間家と酒井家との関わりが始まりました。徳川家康に仕え天下統一を支えた徳川四天王の筆頭でもあった酒井家は、江戸での任務も多く財政が相当に厳しかったようで、酒井家9代忠徳(ただあり)公からの直筆の手紙で、3代光丘さんが本格的に財政支援を開始したといわれています。光丘さんは、事業の主軸を宗久さんが莫大な財を成した米の先物取引から商業金融へと切り替えており、綿密な計画立案と、一時的に負債を肩代わりするなど献身的な姿勢で庄内藩の財政再建に尽力しました。戊辰戦争では、新型兵器導入を支援するなど連戦連勝に貢献し、幕藩体制ではなくなった明治時代以降も関わりが途絶えることはなく、現在も水魚の交わりといわれる親交が続いているそうです。






地域との 関わりは?
公益と私益の両立を志し、武士や農民、町民など、多様な人々の暮らしを優れた金融手法で支えたそうです。また、その精神は金融事業のみならず、海岸の砂防林造成や神社仏閣への寄進など、さまざまな形で地域の発展に貢献してきました。光丘(こうきゅう)文庫や光ケ丘という地名など、今も日常的にその名を目にすることができることからも、功績の大きさがわかります。さらに、常時20人から30人ほど雇っていた住み込みの使用人たちには、男性には読み書きそろばんを教え、女性には花嫁修業をつけ、社会に出る後押しをしたそうです。







高校生の皆さんへ
学校の社会科見学などで、旧本邸や美術館に来たことがある人も少なくないと思います。建物や収蔵品はもちろん素晴らしいですが、一番に知ってほしいのは金融などの事業を通じて、公益と私益を両立してきたということ。本間家に脈々と受け継がれてきたこの精神は、働き方が多様化する現代において、進路を考える上でもヒントになるんじゃないかと思いますね。

本間家旧本邸
住所 山形県酒田市
電話 0234-22-3562
公式HP https://hommake.sakura.ne.jp/
取材後記

本間家の功績や庄内との関わりがよくわかりました。一族だけではなく、使用人や地域の人々など、さまざまな人への深い思いやりの心が、本間家には脈々と受け継がれていると感じました。(池田)
本間家旧本邸には「豪商の家」という認識しかありませんでしたが、造りや成り立ち、そこに込められた意味を知り、庄内にとって本間家がいかに大きな存在かを再認識しました。(齋藤)
「庄内ふむふむふむ」は 庄内2市3町「庄内広域行政組合」、 山形県庄内総合支庁が応援しています。
取材・編集・文=クレードル編集部、工藤拓也 / 写真=間真由美 / 協力=本間家旧本邸、酒田東高校
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