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Cradle小林編集長特別寄稿
「新井満さんと出羽庄内」(後編)

アート・デザイン

Cradle小林編集長特別寄稿
「新井満さんと出羽庄内」(後編)

2021/12/31

中編より続く)

その後平成27年に新井さんは、統合されるあさひ小学校の校歌の制作を依頼される。夏には新校歌のイメージを膨らませたいと学校を訪れ児童たちと交流し、歌詞に入れて欲しい言葉トップ10などを聞いた。そして翌年4月に校歌は完成しお披露目会が開催された。新井さんらしい、明るく伸びやかな、素敵な校歌だ。新井さんは「皆さんの希望にほぼ沿って作った歌詞」と語り、新校歌「朝日がのぼる」を自らの歌唱で披露し、そのあと組曲「月山」からの数曲も含めミニコンサートを行った。最後は全生徒を含む出席者全員で新校歌を合唱。新井さんも感激の様子だった。

新井さんが新校歌を披露
6年生が新校歌を合唱
参加者全員で合唱
全員で記念撮影
あさひ小学校新校歌CD
あさひ小学校新校歌歌詞(新井満 作詞)

当日の夜は、以前から親交の深い酒井家ご当主の酒井忠久様ご自宅で会食の予定で、それまでの時間を少し近くを案内した。注連寺、松ヶ岡開墾場、桃畑などを背景に、私が一眼レフで新井さんの写真を撮ろうとすると少し斜めを向いてポーズをとる。これがなかなか決まっている。

十王峠で
注連寺で
松ヶ岡開墾場で
松ヶ岡桃畑で

酒井家ご自宅での会食は、奥さまの天美さん手作りの料理もいただきながら、話が弾みとても楽しい時間となった。

鯉のぼりをバックに
左から、酒井忠久さん、天美さん、新井さん、小林(筆者)

新井さんは、組曲「月山」と共に、組曲「鳥海山」も作っている。

組曲「月山」のレコードが完成した直後、森から電話が入る。「月山ができたからといって安心してはいけませんよ。まだ鳥海山が残っているではありませんか」と。そうだ死の山・月山と、生の山・鳥海山があってはじめて世界が構造されると、新井さんは作曲に取り掛かり半年で完成させるが、なかなかレコーディングに進まない。しかし平成5年遊佐町を訪れ講演すると、当時の小野寺喜一郎町長と話が弾みレコーディングが決まった。組曲「鳥海山」の第一章「遥かなる鳥海山」もとても素晴らしい曲だ。日本海まで裾野を曳く鳥海山らしい雄大な曲で、もちろん詞は森敦の『鳥海山』からの文章だ。

新井さんは、森敦との出会いから才能を開花させる。しかし新井さんにはもともと大きな才能があったのだと思う。小説『月山』の冒頭の文に即興で曲をつけ歌う。そして組曲にするため残り9曲の歌詞を小説から選ぶが、その選択は森が驚くほど、小説『月山』の重要な構成をなす文だった。新井さんの中にある創造性、企画力、創作力があってこそのことと思う。その才能を発見した森敦が新井さんを褒め上げ、作曲、歌、小説へと発展していった。森はおだての名人といわれるが、きっと森は新井さんの類まれな才能を見抜いていたのだと思う。

新井さんとの思い出は尽きない。

「千の風になって……」、「私はお墓にはいません、泣いてなんかいません……」、

新井さんの魂はきっと大空を悠々と飛んでいることだろう!

「大変お世話になり、ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。」

ご冥福をお祈りいたします。

参考資料:山形県情報誌「いま、山形から…」(1995年No.32)

この記事を書いた人

Kobayashi Yoshio

株式会社出羽庄内地域デザイン代表取締役。地域文化情報誌「クレードル」編集長として自らツアーガイドも務める庄内の魅力発掘請負人。

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